ラズベリーに夢を見る

会社員の傍ら、英⇒日翻訳者を目指して勉強の日々。

翻訳お料理番2020年9月~11月

アメリアに入会して初めて情報誌『Amelia』が送付されてきてからというもの、この翻訳お料理番が楽しみでしょうがない。

 

100wordくらいの短い文なのに工夫のしどころたくさん。何より解説・講評が細かくて詳しい!初心者に嬉しいばかり。翻訳をはじめたばかりの方も気軽にご応募ください、とのことだったので、最初の定例トライアル同様、入会月に即応募した。気軽すぎ?

 

 

振り返ってみると

そんな感じで初めて応募したのが9月号で、その後10月号、11月号と、今のところ3回応募済み。最初に応募したやつが、そろそろ発行されるであろう最新号に掲載されるのかな?

 

ということで勢いで応募したまま全く見直しをしていなかった処女作を見直す。

 

これはひどい

 

何というか、とにかく直訳で、言いたいことは分かるが非常に読みにくい。なんでこのまま出せたんだ。時間はなかったんだろうけど、それでももう少しなんとかできたでしょうよ、と自分に対するつっこみが止まらない。恥ずかしいなあ。ニックネームが載ったら嬉しいなーとか思ってたけどこんなん載るわけない。お花畑すぎる。

 

 

成長のようなもの

そう考えてみると、多少は成長してるのかな?と最近思えるようになってきた。

 

10月応募分も見直してみたけど、こちらは推敲を重ねた跡が見られるし自分でも読みやすくはなってると思う。まだ多少つっかかるところはあるけれども。9月に比べたら相当まし。今回応募分にいたっては自分なりにかなりの力作。先月よりもさらに読みやすくなったと自負。これもあと3ヶ月くらい経って見直したら恥ずかしくなるんだろうか。

 

10月、11月分は、テーマが食べもの関連だったこともあって、訳しててすごく楽しかった。専門用語的なものもそれなりにあっていろいろ調べながらだったけど、調べてる時間も楽しい。こうして翻訳の勉強していろんなジャンルの文章に触れてると、英語はもちろんだけどそれ以外の知識もたくさん得られるのが面白い。

 

定例トライアルとか翻訳コンテストとか、自分の力量のなさにへこみ続けてたけど、こうして短い平易な文でも多少の成長を感じられるとすごく嬉しい。モチベーションにつながる。単純だ。迷わずアメリアに入会してほんとによかった…

 

 

訳せなくて諦めた文章がいくつかあるから、そろそろもう1回手をつけてみようかな?と思えるくらいには前向きになれた。あと二日で初めての定例トライアルの結果が出てまたどん底に叩き落とされるだろうから、そのための準備ができたということで。

 

定例トライアルの結果待ち、実はもう11月に入ったくらいからずっとそわそわしてる。ついに明後日。あー。

定例トライアル2020年11月号

3回目の応募。今回は出版(ノンフィクション)。

 

出版分野は2回目。まだ結果は出てないけど。前のはフィクションでしかも児童書だったので全く別物ではあるものの、先月の実務に比べれば当時の自分の中ではかなり納得のいく訳文を完成させることが出来ていたので、今回も課題文が発表される前からかなり気合が入っていた。

まあお約束のようにまたすぐ挫折を味わうわけですが。

 

 

文体は自由です

今回の課題は「1892年刊」。

 

えっ?

 

すぐさま、高校生の時に国語の副教材で使っていた国語便覧を引っ張り出してきて文学史を確認。明治時代、近代文学。日本でいえば森鴎外とかその時代。審査員の先生のコメントにも、無理して擬古文で書く必要はありません、文体は自由です、とある。

 

擬古文なんか自分にはもちろん書けないので現代語で訳そうとは思うけれど、どうしたものか。例のごとくネットで原文全体を読めるようになっていたのでざっと目を通してみたけれど、随筆?みたいな本。(ああこれで間違ってたらどうしようすごく恥ずかしい)堅苦しい感じではないしむしろユーモアが散りばめられている感じがするし、かといって完全に現代語チックで訳すのもどうなんだろう、とぐるぐる悩む。

 

まあ定例トライアルは課題文が短いからまず訳してみて、訳しながら文体は定めていこうと見切り発車。このやり方、やっぱりまずいのかなあ。結果がどう出るか。

とにもかくにも最後の最後まで文体に悩んだ今回の課題だった。

 

 

誤訳を疑うとは

ふわふわしたまま訳し始めたけど、文章そのものは訳しててすごく面白かった。猫かわいい。へー、とかほー、とか思いながら、読み物として楽しみながら訳してた感じ。もちろん知らない単語はいっぱいあって調べまくったけど。oftがoftenのことだとは知らなかった。昔のほうがつづりが長いって面白い。不思議。

 

ただやっぱり、原文に忠実に、というところと読み手に分かりやすく伝わるように、との境目に今回も苦しんだ。どこまでが意訳?どこまで許される?過去のトライアル見てても、ここはこう訳してもいいのね、というところももちろんあるけれど、原文の語順やら文型に忠実にかつ分かりやすい文になっているものが圧倒的に多くて、やっぱり自分は力不足だなあと実感。

 

そして最後の最後に、最終段落での誤訳に気づいて修正して無事提出。評価基準のところに書いてあった、「訳文の流れがしっくりこない部分は誤訳を疑ってみてください。」の一言の意味がようやく分かった。日本語が間違っているわけではなくてその文だけを読めば特に違和感はないけど、通して読んだときにどうしてもつっかかる。今回は自分で気づけたからよかったけど、今まで訳してきた中にもこういうのがちょこちょこあったんだろうなと思うとがっかり。提出ぎりぎりにならないと気づけなかったのにもよりがっかり。本当に力不足。

 

 

総括

最終的には自分で納得のいく訳を完成させて提出はできた。前回のビジネスよりは良いはず。ただ文体は最後まで迷走ぎみだった… 統一はしたけど、これでほんとにいいんか?っていう。19世紀の文学は大学でかなり研究したんだけどなあ。いろんな訳文も読んできたつもりだったけど、もっともっと英語にも日本語にも触れなきゃいけないなあと思う次第。

 

でもやっぱり翻訳楽しいです。

英語の教科書の和訳は、なぜかくも読みにくいのか

中学生や高校生の頃、英語の勉強をしながらずっと思っていた。

なぜ教科書の和訳は読みにくいのだろうと。

 

学校で教えられる教科書の和訳だけでなく、参考書や問題集に載せられた英文の和訳も、やはり読みにくい。学年が上がるにつれて扱う英語も一文一文が長くなっていって、それに比例して読みにくさも増していったような気がする。

 

仕方がないのだろうな、とは思う。

正しい文法や構造を教えなければならないので、それが分かるように忠実に和訳するとどうしてもああいう風にならざるを得ないのだと子供心に理解はしていた。教科書の和訳も別に日本語としておかしいわけでは決してない。教科書だから。それでもやっぱり、文章として読むと読みにくいと思ってしまうのだ。

 

 

高校時代の試行錯誤

私が高校1年の時の英語の授業は、教科書本文を予習しておくことが前提で、授業で当てられた箇所の和訳を答え、語句や文法事項の解説をされて、というスタイルだった。

 

私は当てられたときに変な日本語で答えたくないというプライドによる理由と、苦手な数学で友人にノートを見せてもらうのと引き換えに自分の英語の予習ノートを貸して取引を成立させなければならないという実用的な理由から、予習はそこそこしっかり取り組んでいた。もともと和訳という作業は好きだったので苦ではなかった。どうしたら元の英文に忠実に、自分は文法事項をしっかり理解してますよというアピールをしつつ、自然な日本語にできるかということを常に考えていた。おかげで英語と数学の出来にかなり差がついたのは言うまでもなく。

 

そんなだったので大学はもちろん外国語学・文学を学べるところに行くつもりで、そうなると試験科目はほとんど英語なわけで、センター試験が終わってからはいよいよ毎日英語だけ勉強する日々に。受験する大学の過去問は10年分くらい解いたので他の大学の過去問にも手を出したりしていた。

 

 

赤本と青本

過去問といえば赤本だけれど、青本ってご存じですか。

 

青本は予備校の駿台が出版している過去問集で、いわゆる難関大しか出版されていないのだけれど、私はこの青本の解説が好きだった。もちろん予備校講師が書いていて詳しいというのもあるけれど、特に英語の和訳が良かった。当時は赤本を使って一通り解いた後、職員室に置いてある青本を借りて解説と和訳の確認をしていた。

 

その中でも特に印象的で今でも覚えているもの。

どこぞの大学の英語の長文問題の中で、”Crazy boy, Crazy boy.” というセリフがあった。

 

もうどういう問題だったのか全く覚えてないしこれを入試に出すってなかなかだと今となっては思うんだけど。

 

赤本の和訳は

「クレイジーボーイ、クレイジーボーイ」

 

一方、駿台青本の和訳は

「頭おかしいよ。あいつ、頭おかしいよ」

 

和訳って面白いなあ、とつくづく思った次第。

 

 

翻訳者たるもの

これを書いている今もやっぱり自分は翻訳者になりたいと思うわけで。翻訳、というか和訳の巧拙を言うつもりはもちろんないけれど、私は青本の訳ができる翻訳者を目指したい。原文に忠実なのは大前提で、そこから書き手の意図をどう読み手に伝えるか。どうすれば伝わるか。ただの言葉の置き換えなら、今の時代は機械翻訳ですぐ出来てしまう。翻訳はAIに奪われる仕事だなんて言われたりもしている。

 

でも翻訳というのはそれだけじゃないんだと、翻訳者のたまごになろうとしている身なりに思っている。いくら文法構造的に正しく訳出されていたとしても、そこに潜む個人的あるいは文化的背景がきちんと考慮されていなければ読みにくい文章にしかならないのではないか。教科書の和訳が一文一文は正しいのに全体を通すとどうも読みにくいなあと感じてしまったのはそこが原因ではないかと今では思っている。ということでタイトルに回帰。

 

 

あ、最後にこれ付けとかねば。

※個人の見解です。

 

新人翻訳者コンテストに応募しようとして挫折した話

翻訳者になろう、と9月に決意して、いろいろなコンテストを調べた。

そして見つけたのが「JAT新人翻訳者コンテスト」。応募資格は実務翻訳(放送・映像翻訳も含む)経験3年未満。学生や翻訳勉強中の方も歓迎。応募無料。年1回の開催。そしてこの年1回というのが、応募期間10月1日~31日。

 

これだ!!!

ということで、すぐさま応募を決意。ただ詳しい募集要項は10月1日にならないと公表されず、このコンテストの存在を知った9月時点ではまだ何もできなかったので、とりあえず過去の課題などを見て回る。

 

 

嫌な予感がする

課題文はだいたい600~800ワードくらい? テーマは毎年いろいろだけど時事的なものが多い感じ。ちなみに昨年の課題はメキシコ国境の壁。受賞者の訳文と講評だけをざっと見た感じ、当たり前だけど訳しごたえがありそうな課題ばかり。

 

去年のメキシコの壁なんかはそもそもの私の知識が欠けてるのもあって、訳文だけ読んでもかなり難しそうなのが伝わってくる。相当リサーチが必要なんだろうな、と。まあ1か月あれば大丈夫でしょうとか思ってた。この時は。

 

 

嫌な予感はだいたい的中する

そして10月1日、課題の発表。今年はCOVID-19関連だった。さすが。

 

まず出典を確認して文全体にざっと目を通して。うん、言いたいことは何となく分かる。分かるけど…私はこれを日本語にできるのだろうか? というのが率直な感想。

 

アメリアの定例トライアルは、本提出でも過去問での練習でも、一度全体をざっと訳してから細かい所を修正していく、というやり方でやっていた。

 

今回はそれができなかった。とりあえず一つひとつの単語が難しい。そして一文が長い。一段落目はまだいけたけど、二段落目からもうだめだった。とりあえず直訳しといてあとで直そう、というのも今回はできず。まず課題文関連をリサーチしてから戻ってこよう、と一旦英文から離れてしばらく調べものに時間を費やすも、結局戻ってからもほとんど訳せなかった。

 

最終的に、半分ほど訳してギブアップ。屈辱。

 

 

敗因の分析と反省

今回ので判明した自分に足りないものは、

・語彙力の乏しさ

・文法の甘さ

・知識(リサーチ力)不足

 

すなわち、翻訳に必要な基本の力がまだまだ足りていないということ。直訳すらできないということは、やはり「英語力」そのものが不足しているんだと思う。いろいろな文に触れるのももちろん大切だけど、まずは基礎からしっかりやり直そうと決意。

 

なんだかなあ。

訳せないってどういうことなの、と不甲斐なさに呆れ半分怒り半分な自分がいて、一方で訳し始めると全然分からなくて泣きたい気持ちで途方に暮れてる自分もいて。

 

課題文を見るまでは、絶対入賞する!!!と意気込んですらいたのに。もう自分が情けなくて恥ずかしい。Twitterのフォロワーさんたちが続々と「提出しました」ツイートするのを見て、さらに落ち込む一方。

 

今まで英語に触れてきてこんなに訳せないのは初めてだったから、本当に落ち込んでる。最初は上手く訳せなくても、たくさん調べて辞書を引いていくうちにこれだ!という日本語訳がぴったりはまるのが好きだったのに。いくらもがいてもそれが出来なくて、ひたすら苦しかった。

 

とりあえず今は基本をしっかり学び直して、来年こそは自分の納得いく訳文を提出できるよう頑張ります。

あ、仕事辞めたい。

あ、仕事辞めたい。

 

今日、仕事に向かう車の中で、唐突にそう思った。

 

 

介護施設から一時帰宅した祖母を見舞った後だったからもしれないし、ホルモンバランスが乱れている時期だったからかもしれないし、少し前にSNSで友人が仕事辞めたいとつぶやいているのを見たからかもしれない。

 

理由は自分でも分からないけれど、仕事辞めたい、の一言が頭に浮かんでしまった。

 

 

今の仕事について

今の仕事にそれほど不満があるわけではない。確かに休みは少ないかもしれないけど、遅出したり休日調整したりわりと自由にやらせてもらっていると思う。午前中は基本フリーだから役所や病院も混んでない時間帯に行ける。これは入籍した時に本当に助かった。会議の前にお腹痛くしたり前日に現実逃避してお酒をたくさん飲んだりしていた時期もあったけれど、上司が変わってからはあんまりそういうことはなくなってさらに伸び伸びしている気もする。

 

それでも、それだからなのか、唐突に現れた仕事辞めたいの一言。

自分でもかなり戸惑ってはいる。

 

 

自分で勝手に思い描いていた将来のビジョン

実を言うと、今年の春に結婚式を予定していたのだけれど、今はやりのあいつのせいで延期になってしまっていた。一応、丸一年延ばして来年の春に行う予定で式場も引き続き押さえてはいるけれど、どうなることやら。

 

夫も私も子どもは欲しくて、でも結婚式をするのであればそれが終わってからじゃないと、ってことで先延ばしになっていて。コロナさえなければ今頃出産を機にさっさと今の仕事を辞めていたのかもしれないけれど、結局のところ何事もなかったかのように普通に仕事を続けている。

 

だもんで、私の中では勝手に、2021年春結婚式→年度末までに妊娠・退職というビジョンを作り上げていた。(夫も了承済み。)もちろん授かりものなのでそうそう上手くいくとは思っていないけど、それでも子供ができなくてもいずれ来年度末には今の仕事を辞めて、本格的に翻訳者として仕事をしていこうとは考えていた。

 

そんな中で思い浮かんでしまった、「仕事辞めたい。」

 

子どもができればもちろん退職理由にはなる。一般的な産休より多少早くに辞めたとしても、この業界は中途半端な時期より3月末にすぱっと辞めてしまった方が引継ぎもしやすいしその辺はあんまり言われないとは思う。

 

ただ、どうせ子供ができなくとも来年度末に辞めるつもりでいるなら、別に今年度末に辞めてしまってもいいのではないか?と、そう思ってしまったわけで。

 

 

自分で勝手に逡巡し始めた現在のわたし

翻訳一本でやっていくには、翻訳会社のトライアルを受けるなりしてそこから仕事がすぐもらえるというわけでもなくて、やはり仕事が軌道に乗り始めるまでそれなりに時間がかかるとも聞く。

 

じゃあ今の仕事を辞める前からトライアルを受けてみようかと思ったこともあったけれど、フルタイムで勤務している身ではなかなかまとまった時間が取れないし、一週間や一か月でこなせる量も限られてしまうし、ましてや自分にそんな器用なことができる自信もなかったから、やはり本格的に翻訳会社のトライアルを受け始めるのは今の仕事を辞めてから、とは決めていた。

 

ただ先月から翻訳の勉強をぼちぼち始めたばかりで、今年度末に仕事を辞めたとして、果たしてすぐにトライアルに合格できる実力があるのだろうか、と考えてみると、自分の答えはノーになってしまう。

 

もちろんそんなことをぐだぐだ言っていたらいつまで経ってもトライアルに応募できないし、いつまで経っても「翻訳勉強中」の身のままなんだと思う。だからどこかで踏ん切りはつけないといけないのだけれど。

 

そうだ、そのために応募したのがアメリアの定例トライアルだ。

 

 

結論が出てきたような気がする

年会費を払ってアメリアに入会したのも、この定例トライアルがあるから。自分がどこまで通用するのか確かめるため、あわよくばクラウン会員の資格を有して翻訳者としての仕事に繋げるために定例トライアルに応募したんじゃないか。

 

先月アメリアに入会の書類一式を送って、定例トライアルにも勢いで応募して、その結果が返ってくるまでにはあと1ヵ月もある。

 

まずは、その結果を待とう。

2020年の年度末まではまだ5ヶ月もある。仕事を辞めるかどうか判断するのは、それからでも遅くはないはず。

 

 

ああ、だらだら書いていたらすっきりしてきた。

勝手に一人で悩み始めて勝手に一人で解決。やっぱり日記というか雑記は大切。

まずは次の定例トライアルに取りかかろう。